それからは言わなかったけれど、兄弟お互いに年をとったから行き来するのも難しかったんだろうね。兄弟で一番下だったから、もっと自分が積極的に行けばよかったんだろうね。行きたかっただろうに…。
お母さんはずっと地元だから里帰りで遠くへとかなかっただろうけど、
他にどこか行ってみたい所はないの?
こんにちは、うさです。
お読みいただきありがとうございます。
母とエンディングノートを書きながら、
アルバムを見てこんな会話をしていました。
父は生前「行きたかった場所」「会いたかった人」がなかったのかな。
もっと一緒にいろんな所へ行けばよかったな…と今になって思います。
前回までのアタフタはこちら👉「【終活】親にもエンディングノートを書いてほしな④」
会いたい人に会っておかなかった後悔
年とともに、自分にかかわる人はたくさん増えてきます。
ひんぱんに交流が続いている人、その時期限りのお付き合いだった人、
理由があって遠く離れてしまった人、
近くにいるけれど近くだからという安心感からか滅多に会わない人、
などなど、かかわりのある人は、歩んできた道の数だけ増えていると思います。
今、「会いたい!」と思う人はいませんか?
それが身内だったり、あるいは
お世話になった人、離婚した妻・夫、子ども
昔の交際相手、仲が良かった友人、など。
「もう一度会いたい」と思う人もいろいろではないかと思います。
「遠くに住んでいるから」
「そのうち会いに行けばいいや」
「またどこかで会えるだろう」
「別れたのだから無理」
と、後回しにしたり、無理と決めつけたり、
「会いに行かない」理由をつけていませんか。
もしも死期が迫った時に
「会いたい!」と思う人とは、その人生において何かしら大きな影響を与えてくれた人なのでしょう。
お互いに年とともに、動けなくなったり、もしかすると
会いたい相手はもうこの世にいないかもしれず、それを知らないままかもしれません。
もしも心の中に
「会っておきたい」人がいれば、悔いを残さないためにも
会いに行っておきたいと思います。
行きたい所へ行っておこう
あれ?今は京都に住んでいらっしゃるんだねー。もう少し暖かくなったら行かない?
こっちが足腰弱ってるから…家が一番だよ…
んー、死ぬまでにはもう一度でも会ってみたいねぇ。
ヨッシャー!春は京都だ!お母さん、旅費はよろしくねっ!
などと思っていたら、驚きの出来事がありました。
お正月を過ぎたころ、
京都の〇〇さんが、母に会いに来られました。
きっかけは同じように、
「家の中を片付けていたら、懐かしい写真を見つけて…
死ぬ前にはもう一度くらい会っておきたいなと思っていたから。」と言われました。
(お土産の八つ橋美味しい…♪)
京都旅行はなくなりそうですが、暖かくなったら
母が行きたい所へ、一緒に訪れようと思っています。
行きたい場所に行かなかったことを悔やまないように。