人生の終焉に向けての準備ばかりに目が向けられる終活ですが、
その過程においてこれまでの自分を見つめなおしたり、先を考えたりして
これからの人生をよりよいものとして楽しむことが終活です。
こんにちは、うさです。
お読みいただきありがとうございます。
一般的に「終活」という言葉を見たり聞いたりすると
「縁起でもない!」というひとことで避けられていました。
自分の人生の主役は自分だけなのです。
今までの人生はみんな違うもので、自分だけの人生を歩んでいます。
今までの自分を自信を持って見つめ返して、
今を、これからを、よりよく自分らしく生きるために
とても意義深いものである「終活」を、
できれば自分だけでなく親世代にもやってほしいな…と思います。
終活を無理にはすすめない
私は、終活を人にすすめているわけではありません。
「終活とはこんなものなんだよ」
と、終活に興味を持った方に、その意味や方法などを紹介するに過ぎません。
「やってみたいけれど…」とか
「終活は知っていて興味はあるんだけれどまだちょっとね…」
と言われるだけならば、
どうぞご自由に…というスタンスです。
興味があるならば、すぐにでも始めてみればよいのです。
やってみたいならば、とりあえず始めてみればよいのです。
何をすればよいのかな、という時の参考になればと始めたのが当サイトです。
終活を始めてみようかなっていう人がいたら、私ができることでお手伝いしたり、
エンディングノートの書き方を知りたいっていう人がいたら、助言するとか。
「大変なんじゃないかな」と思って近寄りがたい「終活」を
「簡単なことなんだよっ」というサポートができればいいな…と思っています。
自分の親にも終活をしてほしいな
以前の記事→高齢の親にも終活をすすめたいけれど…
以前にも親に終活をすすめたいけれどどうすればいいかな…と書かせていただきました。
「まだ早い」「縁起でもない」と、終活とは死への準備ことなのだと考えることが多い親世代。
無理なく自然に終活を考えてもらうには、なかなか厳しそうです。
なにかのきっかけがあれば、
「終活」という言葉を知って、始めようかと思ってもらえたら一番よいのですが。
私は、過去記事にも書いたように、母に終活に興味を持ってもらいたいなと思い、何の説明もせずにエンディングノートを母に渡してみました(笑)
「これ1冊あげるねー!」と。
はい。数か月後に母の家に行ったら、白紙のまま本棚に並んでいました。ま、普通はそうですよね。そうなりますよね(笑)
ただいま母と一緒にエンディングノートを作成中です。
別の機会に「母とエンディングノートを書き上げるまで」の紹介をしますね。
エンディングノートを書いている間に感じたことがあります。
「亡くなった父の話をもっと聞いておけばよかったな」
という後悔です。
親に聞いておきたいことはありませんか?
私は高校卒業とともに両親とは遠く離れて暮らしていました。
その後結婚してから、両親が近くに移り住んでいましたが、
近くにいる安心感からか、そんなに両親の家を訪ねることはありませんでした。
たまに会った時に、当たり障りない会話はありますが、
両親の好きなもの、興味を持っていること、思っていること、
老後のことなども含めて、深く聞いたことはありませんでした。
3年前に他界した父。
あれ?父の趣味ってなんだったっけ?
何を好んで食べていたっけ?
父の好きなことってなんだったんだろう…。
もっとどこかに一緒に行きたかったな。どこか行きたい所とかなかったのかな?
今あらためて思い起こしています。
「孝行したいときに親はなし」
ですね。
もっと単純に
親子の会話をたくさんしておけばよかったな…と思っています。
母は昔から手芸が得意でした。
子どもの頃の私は、母の手編みのセーターを着ていました。
友達が着ている市販のセーターの可愛いアップリケがうらやましくて
子ども心に母の手編みが恥ずかしかったものです。
家の中に飾ってあったレース編みや刺繍の小物などは大好きでした。
教えてもらって一緒に作ったものです。
父を亡くしてからは一人暮らしの母ですが、時々刺繍を楽しんでいるようです。
たまに訪ねた時に、何時間も熱中している母に、
「座ってばかりだとダメだよ!時々は動かなきゃ体が痛くなるよ?」
と、つい言ってしまいます。
最近は、一緒に刺繍や木目込み細工をしながら
母の好きなものの話や、昔話などを少しずつ聞いています。
次の機会には、母の手料理を教えてもらっておこうかな
と思っています。
そういえば…母の得意料理ってなんだったっけ??
財産の話や家のことなど、いかにも「ザ・終活」ということではなく
なにげない日常の会話や昔話から、「これは伝えておきたい」と思ってくれる話が
自然にできればいいな…と思います。
親とたくさんの話をしておきましょ。